東六番丁界隈の歴史と街(まち)歩記(あるき)

東六番丁界隈の歴史と街(まち)歩記(あるき)
平成16年度~17年度 五城中学校父母教師会 五城学区地域連携教育推進協議会    会長 千葉富士男

さかのぼる事 明治六年 第7大学区第1中学校区第13番小学校「小田原小学校」と称し,北六番丁万日堂を仮校舎として開校されたのが現在の東六小学校。この学校は市内の先端を行く学校と位置づけられ数々の実験的な試みが行われた。そのひとつが明治四十四年 児童奨励会結成(後の父母教師会)の発足と活動である。他の学校は戦後GHQ指令にてPTAが結成されたのが昭和二十二年であるからその発足が如何に早いかがわかる。樹齢三百八十余年を超えるエゾヒカンザクラはちょうど入学式ごろが見ごろを迎える東六のシンボル的存在だ。土井晩翠の作になる校歌は小田原田んぼ前に見て!と唄い歴史を感じさせる。
伊達家二代藩主忠宗公の造営で承応三年 一六五四年に東照宮が建立され、その後 門前町として栄えた宮町。古くは青葉祭りの山鋒巡航や神輿が渡り歩き賑わいは青葉神社まで続いたとか。
 現在、東六地区は町内会数二十六.世帯数六千四十四戸を数える。
盛夏を過ぎ、残暑厳しき八月十八日、大塚昭会長、山田甚三郎会長や伊藤幸明会長、東六の本内副会長とともに私を含め総勢五名にて東六番丁界隈の道標を愛で、町屋を眺め、往時の賑わいや戦前戦中戦後の話を交えながら街を歩いた。
この地区に住む先輩方のお話は常に新鮮であり、歴史を紐解きながらのゆったりとした街歩きは商店の少なくなった界隈が如何に隆盛を極め賑わい、戦後郊外にできた団地の通過点となり現在に至るかを巧みなエピソードや逸話、店舗の歴史や人の行き来を聞きながらレクチャーしてくれたのだ。猛暑にもかかわらず歩くほどに饒舌になる話は少人数で聴くのにはもったいなく、機会を設けそんな先輩方の昔話を聞く機会が出来ればと思うのであった。
また、空き店舗が目立つ商店街などを思うとき、大規模小売店や巨大遊興店が進出してくることへの憂慮と地域にとっての本当の幸せや安全を考えさせられてしまった。
NPOや地域で商店の空き店舗を借り上げ、専門店や若手の創業を支援をしたり老舗の店舗進出を支援したりは出来ないだろうか。そんな街の活性化も視野に入れてゆければよいのではと思うのであった。
北六番丁あたりはこのあたりでも特ににぎわう場所、利府街道へと続く道には元気に北六小に通う子供たちの歓声が響き渡っていた。
仙山線東照宮駅を過ぎ、やがて東照宮の山門が見えてきた。五城中を取り囲むように樹木が生い茂る。東六地区や北六地区を含むこの地域は、防犯や交通安全への意識が高く、地域で子供たちを育てる!という意識が町全体に広がる。私たち五人はこの環境は何にも変えがたいと痛感し、街の人々からの多くの支援に感謝しつつ今日の話に聞いた古人に思いを馳せ、第一回目の街歩きを終えた。こんな機会を重ねながら街づくりの一助としたい、と。みな想いながら帰途へとついた。
         
道標には、いにしえの町名の由来が書かれ、街には意匠を凝らした歴史的建造物、そして行き交う人はなじみの顔と顔。話が弾む。
 
 
[PR]
by touroku-chiku | 2006-03-24 01:06 | 東六地区の街づくり